メールマガジンバックナンバーnewsletter

メールマガジンバックナンバー

シナリオプランニングの「死の谷」の乗り越え方【Stylish Ideaメールマガジン vol.208】

※イノベーション組織を作るためのアイデアを届けるStylish Ideaメールマガジンに掲載したコラムのバックナンバーです。最新のコラムをお読みになりたい方は、こちらからご購読ください。

シナリオプランニングの「死の谷」の乗り越え方

このメールマガジンでは、シナリオプランニングで作成するシナリオはアウトプットではなく、インプットだと、何度かお伝えしています。

・シナリオプランニングの切れ味を決めるもの【Stylish Ideaメールマガジン vol.112】

それを忘れてしまった時によく起きることとして、シナリオプランニングの「死の谷」とでも呼べるような状況があります。

シナリオプランニングの「死の谷」とは、せっかくシナリオで未来のことを描いたものの、それを元に戦略や事業などを検討する際にシナリオで得た気づきが反映せず、現状を前提としたものになってしまうこと。

ご存じの方もいると思いますが、「死の谷」とは、研究開発から事業化につなげる際に起きる障壁などを指し、ここではそれを援用しています。

・デスバレー (研究開発) – Wikipedia)

シナリオプランニングのワークショップでは、複数の未来を描くためのシナリオの作成にかなりの時間とエネルギーを注ぎ込みます。

普段なら考えない先の未来を考えるので、たしかに簡単ではありません。

ただし、現在のことを脇に置いて考えるため、自由気ままに考えられる機会でもあります。

しかし、完成したシナリオをインプットとして「今から何をする?」ということを考える時にはそうはいきません。

シナリオで描いた未来を踏まえて考えてみると、

・自社の事業がこのままでは立ちゆかなくなる
・自社の強みがこのままでは活かせなくなる
・そもそも業界全体が不要になる可能性がある

という現実を目の当たりにすることがあります。

そのような現実を踏まえた上で、この状況をどう乗り越えていくのかを考えるのが、シナリオをインプットとして考える対応策です。

この対応策を考えるプロセスでは、今までの自由気ままに考えるプロセスとは異なり、自分事として考えなくてはいけません

しかし、見たくはない現実を見せられた上、自分事として考えるという場面になると、これまでのような真剣さでは考えなくなる人が出てくることがあります。

そういう人の傾向としては、

・実現可能性がない「大胆な」案を出してみたり、
・「笑いを取れる」案を考えることに走ったり、
・責任の所在を自分たち以外に求める

というのがあります。

もちろん、ワークショップに参加している人がこのような状況になってしまわないように、事前の設計や、その場でのファシリテーションを工夫することは、我々や、弊社が開催している応用編やプロコースに参加した人たちの役割です。

そういう人の助けを借りつつも、私たちは皆、一参加者でもあるわけです。
(こう書いている私自身も、例外ではありません)

一参加者として意識をしておくべきことは、どんなに不都合な現実が目の前にあったとしても、それに対して自分事として向き合うことを、決してやめないこと

自分を取り巻く環境が変わり続けていくのに、自分だけは変わらなくても良い、というような都合が良いことはあるわけないのです。

どういうことがあっても、自分事としてとらえ、変わり、変わり続けることをあきらめないこと。

そういう気持ちを持ち、参加者ひとりひとりが、目の前に描かれた未来の可能性に自分事として向き合うことができれば、シナリオプランニングの「死の谷」は、その参加者たちの後ろに横たわっているはずです。

◆参考セミナー◆
⇒ 「他人事」で対応策を考える参加者を出さないための全体設計を学ぶ講座です。

公開セミナー日程 | 株式会社スタイリッシュ・アイデア

編集後記「僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった」

日本で4月となると、多くの人が新しい環境や新しい関係の中で、新しい取り組みを始める季節。

特に緊張するのは、「ステージが一段上がる」ような体験をする人たちでしょう。

「ステージが一段上がる」とは、高校生が大学生になったり、大学生が社会人になったりという機会。

社会人になると、そこまで明確な属性の変化は少なくなるものの、この「一段上がる」場面に遭遇している人も多いはずです。

そういう機会に、ぜひ読んでもらいたいのが、2012年に投稿されているこのエントリー。

・僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった – しのごの録

アメリカのソーシャルニュースサイトであるRedditに投稿された記事の翻訳です。

大学への進学を考えていた高校生が、自分の実力を目の当たりにして愚痴っている記事に対するMIT卒業生のコメントです。

個人的に、とても気に入っている記事なので、詳しくは、ぜひ読んでみてください。

今回のコラムで伝えたことにも通じる内容です。

読んだ人にも、読んでいない人にも、自分が気に入っている箇所を引用しておきます。

自分も、まだまだ挑戦していかないとと思います。

MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。

うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。
彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。
彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。

君はとても若い。頭があんまりよくないのではなどと悩むには本当に若すぎる。
年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。

括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。

君は、自分は燃え尽きてしまった、あるいは、燃え尽きてしまうかどうかの岐路に立っているという風に感じています。でも実際には、燃え尽きることにするかしないかを決断する岐路に立っているのです。これが決断であるということを認めるのは怖いことです。

なぜならそれは、君にはなにかをする責任があるということですから。
でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。
君にできるなにかがあるということですから。

メールマガジンバックナンバーの一覧へ戻る